福岡地方裁判所 昭和50年(ワ)726号 判決 1980年3月18日
原告
砂崎勝利
(ほか八名)
右原告ら訴訟代理人弁護士
吉田雄策
(ほか三名)
被告
曽根崎次作
右訴訟代理人弁護士
加藤達夫
右訴訟復代理人弁護士
山出和幸
右当事者間の労働契約存在確認等請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
一、原告らの請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告ら
1 原告らが被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は原告らそれぞれに対し、昭和四九年八月五日以降毎月別表(略)記載の割合による各金員を各月の翌月一〇日限り支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決および第二項につき仮執行の宣言。
二、被告
主文と同旨の判決および仮執行免脱の宣言。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1 原告らはいずれも、訴外有限会社福栄運輸(昭和五三年九月二八日商号変更により有限会社富士急行運輸となる。以下「福栄運輸」若しくは「会社」という)に雇傭され自動車運転の業務に従事していた者で、かつ総評全国一般労働組合福岡地方本部福岡支部福栄運輸分会(以下「組合」という)に所属する組合員である。
福栄運輸は、資本金二五〇万円の一般貨物自動車運送事業を営む会社であるが、昭和四九年七月当時の従業員は約一五名で、右当時被告は福栄運輸の代表取締役たる地位にあった。
2 昭和四九年七月当時会社と組合との間では夏季一時金の支給をめぐって団体交渉が進められていたが、同月二三日の交渉の際、会社側からは被告のほか訴外新井崇玄が出席し、席上被告は同日限り福栄運輸の代表者を新井と交替する旨言明した。
同年八月三日行われた団体交渉において、新井は歩合給制を骨子とする給料改正案を提示し、これに対し組合側は右提案は受入れることができない旨回答したところ、新井は組合員の就労を同月五日以降拒否する旨通告した。そして、会社は同月二〇日従業員控室の出入口に原告らが会社事業場内に立入ることを禁止する旨を記載した文書を掲示するとともに、翌二一日従業員控室の入口のドアを釘付けにして閉鎖し、以後原告ら組合員を事業場から閉め出してしまった。その後も組合は会社に対し、再三にわたり就労を要求しているが、拒否されたまま現在に至っている。
3 昭和四九年八月二四日付で、同年八月一日被告は福栄運輸の代表取締役および取締役を辞任し代って同日新井が右地位に就任した旨の登記が、また昭和五〇年三月一九日付で、同月五日新井は代表取締役および取締役を辞任し代って同日訴外香月一義が右地位に就任した旨の登記が、さらに昭和五三年六月二三日付で、同月二二日香月は代表取締役を辞任し代って訴外白水敏一および同中村勝治が共同代表取締役に就任した旨の登記がそれぞれなされている。
4 しかし、次に詳述するとおり福栄運輸の実質的代表者は依然として被告であり、かつ福栄運輸は法形式上有限会社の形をとっているものの実質的には被告の個人会社というべきもので、会社の法人格は形骸化し、被告は法人格を濫用しているものであるから、福栄運輸が原告らに対して負う労働契約上の義務につき被告も責任を負うべきものである。
(一) 福栄運輸の実質的代表者
(1) 被告から新井への代表者交替に関し被告から提出された書証によると、昭和四九年八月一日被告所有の出資持分全部を出資一口一、〇〇〇円で被告から新井に譲渡し(乙第一〇号証)、同日会社本店において臨時社員総会が開催され社員五名全員が出席のうえ同総会において、被告所有の出資持分全部の新井への譲渡および訴外曽根崎四郎の出資持分全部の訴外森周一への譲渡の承認、ならびに会社の社員とその出資口数を新井一、三九〇口、森六〇〇口、訴外金田秀夫五〇〇口、訴外大久保義和一〇口とする定款変更の決議がなされ(乙第九号証)、同日同所において、右変更後の社員全員が出席して臨時社員総会が開催され、取締役に新井および訴外森健三が、監査役に訴外脇田健二が選任され(乙第一一号証)、さらに同日同所において取締役会が開催され、新井、大久保、森が出席して代表取締役に新井を選任した(乙第八号証)こととなっている。しかし、被告から新井への出資持分の譲渡ならびに右各社員総会および取締役会の開催がなされた事実はない。
(2) 新井、香月、白水および中村が代表取締役に就任後代表者として行った業務は、新井については昭和四九年八月二〇日まで組合との数回の団体交渉に出席して歩合給制を骨子とする賃金改正案を提案し、組合員の就労を拒否し職場から締め出した以外に実質的なものはほとんどなく、香月については組合との交渉以外には陸運事務所に対する減車および事業休止の申請手続とこれに関する同事務所との折衝程度のものであり、白水も同様である。被告から新井への代表者交替に際し事務引継もなされておらず、また、取引金融機関に対する代表者変更の通知、代表者名義の切替え、荷主に対する挨拶、社会保険関係の代表者名義の変更等も一切なされなかった。道路運送法施行規則二七条五項に基づく福岡陸運局長に対する役員変更届は、代表者変更後約六カ月後の昭和五〇年二月一七日になされているが、右変更届出がなされた時点では既に会社は事業を停止して事実上倒産状態となり、新井も病気入院中で会社運営には一切関与していなかったものであり、右届出は陸運局からの警告を受けて形を取り繕うためになされたものに過ぎない。
(3) 被告は、代表者辞任後も三日に一回位の割合で会社に出て、当時会社の総務・経理関係の業務、組合との文書のやりとり、配車業務等を行っていた森健三らと話合い、会社の手形決済、燃料業者・修理業者への債務の弁済、手形の支払期日延期のための債権者との交渉等を行っていた。また、被告は自らの意思と判断で、昭和四九年一二月はじめ会社所有の営業所建物五棟を訴外常岡徳三郎に代金八〇〇万円で売却し、訴外能塚芳夫から会社の営業用車両を担保として昭和五〇年一月末に一五〇万円、同年二月に二〇〇万円を借入れ、さらに代表者辞任後も会社所有の社長専用の乗用車を使用し、会社のチケットで給油を受けていた。そして、新井から香月へ、香月から白水および中村への代表者変更も、すべて被告の意思に基づいてなされたものである。福栄運輸は昭和五〇年一月末ごろ非組合員の従業員ら全員が退職し事実上営業を止めてしまったが、福栄運輸の車両、荷主、従業員、金融機関との取引等営業の大半が、被告の弟訴外曽根崎甚次が代表取締役でかつ実質的には同人の個人会社である訴外東西産業運輸有限会社(以下「東西産業運輸」という)に移行している。右東西産業運輸有限会社への営業の移転は、被告と甚次とが意思を通じて計画的になしたものである。
(4) 右の事情から明らかなように、福栄運輸の実質上の代表者は依然として被告であり、前記代表者の変更は被告が新井、香月、白水、中村らと共謀して組合員を職場から放逐し、組合との間の賃金協定や原告らを仮処分債権者とする地位保全仮処分命令の履行の責任を回避するための手段としてなされた仮装のものである。
(二) 法人格の形骸化
(1) 昭和四九年七月末の時点における福栄運輸の定款上の社員構成は、被告のほか被告の弟曽根崎四郎、従業員の訴外大久保義和、被告の友人訴外森周一、同金田秀夫で、総出資口数二、五〇〇口中過半数の一、三九〇口が被告名義であり、役員構成は、被告が代表取締役であるほか取締役が曽根崎四郎、大久保義和、金田秀夫、監査役が被告の妻訴外曽根崎ハツノであった。そして、右の者のうち少くとも金田および大久保の社員および取締役としての地位は名目上のものに過ぎず、実質上被告が単独で会社経営を意のままに支配し得る地位にあった。また、昭和四九年七月当時の会社資産としては、営業用車両二〇数台、事務所用プレハブ造建物のほかとくにみるべき資産はなく、金融機関その他との対外的取引は、ほとんど被告個人に対する信用に依存して行われていた。
(2) 会社財産と被告の個人財産とは明確に区別されておらず混同があったことは、次の事情から明らかである。
(イ) 福岡市東部農協からの借入金について
昭和五〇年三月六日当時の東部農協の被告に対する貸付金は三口でその残高合計は四、〇三二万六、三一四円であるが、そのうち会社の運転資金に充てるための貸付金は昭和四六年七月一五日貸付の元本一、八五〇万円であり、同貸付金の昭和五〇年一月三一日の時点における残高は五五四万二、一七七円である(甲第五五号証)。しかるに、甲第五三号証添付の税理士訴外中野武志作成の財産目録には、昭和五〇年一月三一日の時点における会社の借入金として一、五七九万三、一六七円と記載され極端に過大なものとなっている。これは純然たる被告個人の借入金が、会社の借入金として計上されていることを示すものである。
(ロ) 福岡信用金庫からの借入金について
被告は、代表者を新井と交替した時点での会社の借入金として、福岡信用金庫、十八銀行、国民金融公庫からの借入金があり、福岡信用金庫に対する債務は四、〇〇〇万ないし五、〇〇〇万円あった旨述べている。しかし、十八銀行からの会社の借入金は存在せず、また福岡信用金庫との間には手形貸付、手形割引、当座預金取引があるが、昭和四九年七月末における手形貸付残高は三〇〇万円に過ぎない。右のような借入金に関する被告の供述と事実との齟齬は、被告に個人の借入金と会社の借入金とを明確に区別する観念がないことを表わしている。
(ハ) 借入金の推移について
乙第二四号証(会社の決算報告書)には、昭和四九年三月三一日当時の会社の借入金として四、三六七万一、三〇〇円が計上されているが、甲第五三号証添付の財産目録によると、昭和五〇年一月三一日の時点における借入金は一、八七九万三、一六七円となっており、昭和四九年三月末に比し二、四八七万八、一三三円も減少したことになっている。しかし、この間の会社の営業実績からみてこのような多額の借入金返済の資金がどこから出て来たのか不可解であり、前記甲第二四号証に計上されている借入金が果してすべて会社のものであったのかどうかについては多大の疑問がある。
(ニ) その他
被告は会社所有の乗用車を会社業務以外の用にも日常的に供して自己の所有物であるかのように乗りまわし、また会社が依頼していた中野税理士に会社の費用で被告個人の所得税の申告手続をも依頼していた。
(3) 右のとおり、被告は会社の過半数の持分を保有し、被告と会社とは実質的に同一であり、かつ被告の個人財産と会社財産の区分は不明確で混同した形で運用されており、また、代表取締役や取締役の変更という法人の運営について最も基本的な事項についても有限会社法所定の社員総会、取締役会が開かれず、被告の意のままに運営されていたものであり、会社の法人格は形骸化している。
(三) 法人格の濫用
(1) 昭和四九年七月二四日会社所有の営業用車両二台が東西産業運輸に移転登録されており、また、原告らが新井より就労を拒否された昭和四九年八月五日以降、会社所有の営業用車両数台が東西産業運輸の営業用車両として使用されていた。さらに、昭和五〇年一月末ころ会社が事実上営業をやめた後は、それまで福栄運輸で運転手として勤務していた訴外曽根崎四郎、同吉武政信外三名が東西産業運輸で働いており、また麻生コンクリート、技研工業、福岡倉庫等会社の大口の荷主のほとんどが東西産業運輸に引き継がれている。
(2) 東西産業運輸は、被告の弟曽根崎甚次が実質上出資持分の全部を有する同人の個人会社で、福栄運輸と同様に一般区域貨物自動車運送事業を営んでいる。昭和四九年一二月二七日付で被告所有の土地、建物につき、東西産業運輸の福岡信用金庫小林町支店に対する債務を担保するため、元本極度額一、〇〇〇万円の根抵当権設定登記がなされていること等から明らかなように、東西産業運輸は被告の積極的な援助と協力に依存して事業を拡張してきたものであり、被告と甚次はきわめて計画的に、福栄運輸の営業実体を順次東西産業運輸に移しかえたものである。
(3) 右のとおり、被告は、会社の運営を実質的に支配し得る地位に基づき、原告ら組合員をその経営から排除し、分会の組織と団結を破壊し、かつ原告らに対する労働契約上の義務および全国一般労組に対する労働協約上の義務の履行を回避するという不法な目的をもって法人格を濫用し、福栄運輸の営業実体の大半を東西産業運輸に継承させ、原告らだけを残して福栄運輸を倒産させたものである。
5 原告らの昭和四九年七月当時の福栄運輸における一カ月の平均賃金は、別表記載のとおりであり、福栄運輸における賃金支払は毎月一日から月末までの分を翌月一〇日に支払うこととなっているが、原告らは昭和四九年八月五日以降の賃金の支払を受けていない。
6 よって、原告らは被告に対し、原告らが労働契約上の権利を有する地位にあることの確認、および原告らそれぞれに昭和四九年八月五日以降毎月別表記載の割合による賃金を翌月一〇日限り支払うことを求める。
二、請求原因に対する被告の答弁
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実のうち、昭和四九年七月当時会社と組合との間で夏季一時金に関する交渉が行われていたこと、および同年七月三一日の交渉の席上代表者を新井と交替する旨を明らかにしたことは認めるが、その余の事実は不知。
3 同3の事実は認める。
4 同4の事実は争う。
(1) 昭和四七年組合が結成されて後は、度重なる賃上げで経営が財政的にいきづまり、被告も組合との種々の団体交渉等で次第に会社経営の意欲を喪失していった。昭和四九年七月当時福栄運輸は倒産寸前の状態にあったところ、新井が自分がやるというので、経営する人がいるならその人に譲渡した方がよいと考え、被告は自己の出資持分を新井に譲渡するとともに、代表取締役および取締役を辞任して会社経営から一切身を引いたのである。代表者辞任後被告は福栄運輸の経営に関与したことはないが、ただ経理関係等は実際やっていないとわからないことが多いため、新井から依頼されて会社に出たり、新井に同行して手形ジャンプの交渉をしたりしたことはあるが、右はあくまで事務引継ぎのためしたに過ぎない。
(2) 代表者辞任後被告が会社の建物を売却したり、会社の車両に担保権を設定したりしたことはない。右はいずれも当時の会社の担当者がしたものである。銀行取引については、被告の代表者辞任後も暫く代表者は被告名義のままとなっていたが、それは銀行融資を受けた際被告が個人保証し、あるいは担保提供していた関係上、借金がなくなるまでは名義を変更しないでほしいとの銀行側の要望があったためであり、その後右関係においても代表者名義は変更された。
(3) 被告の福栄運輸の代表者在任当時、会社の経営については被告のほか、会社役員、訴外中野税理士らが毎月一回集って検討会を開いて経営方針を決定していたもので、被告の意のままにしていたわけではない。また会社の経理についても、経理専門の事務員を置いて毎日記帳するほか、中野税理士に依頼して経理一切のチェック、指導、助言をしてもらっており、会社と被告個人の財産が混同されるようなことはなかった。
5 同5の事実は不知。
第三、証拠関係(略)
理由
一、請求原因のうち1および3の事実については、当事者間に争いがない。
二、そこで、まず福栄運輸の設立から現在に至るまでの同会社の概要につき検討するに、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 昭和三九年二月一般区域貨物自動車運送事業を目的として有限会社福栄運輸が設立され(以下これを「旧福栄運輸」という)、訴外山田等が代表取締役に就任し、被告は外二名とともに取締役たる地位にあったが、昭和四〇年から被告が旧福栄運輸の代表取締役に就任した。旧福栄運輸が運送事業の免許を得ていた事業区域は福岡市のみであったが、その後事業区域の拡大を図るため昭和四五年七月福岡県を事業区域とする一般区域貨物自動車運送事業の免許を得ていた平島運送有限会社の持分全部を被告らが買受けたうえ、その商号を有限会社福栄運輸に改め、旧福栄運輸の役員が右新たな有限会社福栄運輸の役員に就任し、被告が引続き代表取締役となった。一方、被告をはじめとする旧福栄運輸の関係者が所有していた旧福栄運輸の持分は全部、兵庫県に本社のある訴外新日本運輸に売却された。右のような法的形式はとられたものの、旧福栄運輸が行っていた従来の現実の営業は新たな福栄運輸に引継がれた。
2 昭和四七年ころには福栄運輸の従業員は三〇名弱にまで増加したが、同年七月組合が結成され、従業員のうち約二三名位が右組合に加入し、以後賃上げ、夏期および年末一時金等の交渉が、組合と福栄運輸の代表者たる被告との間でなされてきた。昭和四九年春の賃上げ交渉は、同年二月末組合から会社に対し賃上げ等の要求書が提出され、同年三月一〇日から団体交渉が始められたが難航し、同年六月六日の午後一〇時五五分から翌七日午前九時までストライキが実施されたりしたが、同月一七日一律三万円の賃上げをすることで妥結した。賃上げ交渉妥結後間もない同月二八日には組合から会社に対し、夏期一時金として一律基本給の七五日分の支払等を求める要求書が提出され、同年七月一五日右夏期一時金に関する団体交渉が開始された。同月二三日の交渉の席には会社側から被告のほか新井崇玄も出席し、被告から自分は会社を経営していく自信がなくなったので社長を新井と交替するとの表明がなされ、以後組合との交渉は新井が福栄運輸代表者として行うようになった。その当時の福栄運輸の従業員は一五名位で、うち組合員は一〇名であった。福栄運輸の業績は昭和四七年ころから下降し、昭和四九年七月当時はかなりの負債をかかえていた。
3 昭和四九年八月三日の団体交渉の際、新井は組合に対し賃金改訂案を提示した。同改訂案は歩合制を主とするものでありかつ従来の賃金体系に比し実質的に大幅な賃金切下げとなるものであったため、組合は右改訂案をそのまま実施することには反対の意向を表明したが、新井は右改訂案には譲歩の余地はないとして、組合に対し右改訂案をのむか、そうでなければ退職するかの二者択一を迫り、同月五日以降組合員の就労を拒んだ。そして、同月二〇日組合員が出社して待機するために使用していた従業員控室に立入を禁止する旨の掲示がなされたため、以後組合員は出社しなくなった。同月五日以降福栄運輸の運転業務は非組合員三名で行われ、その後同年九月になって新たに六名が運転手として雇傭され、運送事業を行っていたが、同年一〇月中旬から新井は病気のため入院し、また同年一二月には当時会社の全般的事務を担当していた訴外森健三が行方不明となったこと等から、翌昭和五〇年一月ころには福栄運輸の業務は事実上閉鎖状態となった。
4 香月一義が登記簿上代表取締役の地位にあった昭和五〇年三月から昭和五三年六月までの間には、事業再開および未払賃金の支払をめぐって二回ほど組合と香月との間で団体交渉が行われたが、福栄運輸としての事業は一切行われなかった。
昭和五三年六月白水敏一および中村勝治が登記簿上共同代表取締役に就任して以降、同年九月商号が有限会社富士急行運輸に変更され、同年一〇月には本店が福岡市博多区から福岡県八女郡広川町大字久泉四七四番地に移転された。そして、証人白水敏一は、「有限会社富士急行運輸としてトラック六台を保有し、従業員一〇名位で業務を行っている。」旨証言するが、同証言によるも同会社が現在行っているという営業の実態は明らかでない。
三、ところで、原告らは本訴において、福栄運輸の実質的代表者は現在なお被告であることを前提としたうえ、被告に対し所謂法人格否認の法理により原告らが福栄運輸に対して有する賃金債権の支払および労働契約上の地位の確認を求めるものであるところ、法人格否認の法理が適用され、会社の債務につき会社の背後にある個人の責任が肯定されるのは、法人格が全くの形骸にすぎない場合、またはそれが法律の適用を回避するために濫用される場合に限られるものと解すべきであるから(最高裁昭和四四年二月二七日判決、民集二三巻二号五一一頁参照)、被告が代表取締役退任登記後もなお福栄運輸の実質的代表者たる地位にあったか否かはともかくとして、まず本件の場合右法人格否認の法理を適用すべき要件が存在するか否かにつき検討することとする。
1 まず、法人格の形骸化の存否につき判断する。
(一) (証拠略)によれば、被告の代表取締役辞任登記がなされる以前の昭和四九年七月当時の福栄運輸の出資持分を有する社員は被告のほか、被告の実弟訴外曽根崎四郎、訴外金田秀夫、福栄運輸の従業員である訴外大久保義和で、出資持分の過半数を被告が所有し、右大久保の出資持分は同人が現実に金を支払って求めたものではないこと、右当時の福栄運輸の取締役も右出資社員と同一メンバーであったこと、福栄運輸では正規の招集手続を経た社員総会等は開催されず、その都度必要に応じ事実上関係者が集る等して協議しており、被告は新井を代表取締役の形で福栄運輸に関与させること等福栄運輸における重要な意思決定を被告単独の意向で左右できる地位にあったこと、以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(二) しかし一方、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(1) 旧福栄運輸当時は、福岡市博多区大字下臼井所在の被告の自宅を会社の営業所としていたが、昭和四五年新たな福栄運輸が発足するころから被告方前にプレハブ造の建物を建てて同所を会社の営業所とし、さらに昭和四七年二月には福岡市大字金隈に会社名義で第三者所有の土地を借受け、同年八月には同地上に事務所用建物を建てて会社名義に所有権保存登記をし、以後福栄運輸の業務は全て同所で行うようになった。
(2) 福栄運輸の従業員は、最盛時には三〇名弱にまで達したが、昭和四九年七月ころは約一五名位に減少していた。会社の業務は被告が業務全般を統括していたほか、前記大久保が労務および車両関係の管理を、森が事務一般および配車業務を担当していた。
(3) 会社では旧福栄運輸の昭和四二年ころから税理士の訴外中野武志に依頼して会社の経理をみてもらっており、新たな福栄運輸となって後も同様であり、昭和四九年に至るまで毎年決算期には会社の事務員が記帳した会計帳簿に基づき、右中野によって決算報告書(乙第二〇ないし第二五号証)が作成されていた。そして、右決算報告書が単に税務対策等のために作成されたものでその記載内容が全く事実に反するものであると疑わせる証拠はない。
(三) 原告らは、会社財産と被告の個人財産とが混同していることを示すものとして数点を指摘するので、以下これにつき検討する。
(1) 福岡市東部農協からの借入金について(請求原因4の(二)の(2)の(イ)記載の主張)
(証拠略)によれば、会社は福岡市東部農協からの借入金をもって会社の運営資金の一部に充てていたが、しかし、農協の貸付先は農協組合員に限られているため、福岡市東部農協からの借入に際しては会社名義で貸付を受けることはできず、便宜上被告名義で借入れていたことが認められる。ところで、右甲第五三号証添付の前記税理士中野武志作成の昭和五〇年一月三一日時点における福栄運輸の財産目録には、福岡市東部農協からの借入金として一、五七九万三、一六七円との記載があり、一方同農協職員である訴外長良雄の検察官に対する供述を録取した成立に争いのない甲第五五号証には、昭和五〇年三月六日の時点における被告に対する貸付金総額は四、〇三二万六、三一四円であること、昭和四六年七月一五日会社の運営資金とするため一、八五〇万円が貸付けられ、昭和五〇年六月九日の時点における同貸付金残金は五〇九万二、一七七円である旨の供述記載がある。しかし、右甲第五五号証によっても、昭和四六年七月一五日の貸付金一、八五〇万円が会社の運営資金として貸付けられたものであることは明らかであるものの、前記総額四、〇〇〇万円余にのぼる貸付金の中で会社の運営資金に充てられたものが右昭和四六年七月一五日の貸付分のみであったことまでは明らかでないものというべく、かつ他にこれをうかがわせる証拠もないから、原告らの右主張は財産の混同を裏付けるものとしては採用できない。
(2) 福岡信用金庫等からの借入金について(請求原因4の(二)の(2)の(ロ)記載の主張)
被告の代表者辞任の時点における福栄運輸の農協以外の金融機関に対する借入金につき、前記甲第三一号証(被告の労働基準監督官に対する昭和四九年一二月二五日付供述調書)には、「四、〇〇〇万ないし五、〇〇〇万円ほどあった。」旨の供述記載が、前記甲第五二、第五三号証(被告の検察官に対する昭和五〇年三月二五日付および同月二六日付各供述調書)には、「銀行借入金は約七、〇〇〇万円であった。」旨の供述記載があり、また被告本人尋問の結果(第一回)中には、「農協以外に福岡信用金庫、十八銀行、国民金融公庫からの借入金があり、福岡信用金庫からの借入金は四、〇〇〇万ないし五、〇〇〇万円であった。」旨の供述がある。右のように農協以外の金融機関からの借入金に関する被告の供述は変転し、かつ果して右のような多額の借入金が実際存在したのかについても疑問はあるものの、しかし、前記甲第五三号証および弁論の全趣旨によれば、金融機関との間で会社名義による取引が行われていたことが認められるほか、被告個人の十八銀行や福岡信用金庫等に対する債務の存否およびその金額を明らかにする証拠はなく、また会社名義の借入金や預金口座が被告個人の目的に使用されたり、あるいは被告個人名義の借入金や預金口座が会社の用務に用いられていたこと等をうかがわせる証拠もない。したがって、金融機関からの借入金に関する被告の供述が曖昧であるからといって、被告の個人財産と会社の財産とが混同していたものとは認め難いものというべきである。
(3) 借入金の推移について(請求原因4の(二)の(2)の(ハ)記載の主張)
前記乙第二五号証、甲第五三号証添付の財産目録によれば、福栄運輸の昭和四八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの営業年度に関する決算報告書(乙第二五号証)には借入金として四、三六七万一、三〇〇円が計上されているところ、昭和五〇年一月三一日の時点における財産目録には借入金として一、八九七万三、一六七円が計上されているに過ぎないことが認められる。しかし、右甲第二五号証、前記甲第五三号証、同第五五号証、被告本人尋問の結果(第一回)によれば、右決算報告書には預金として二、一〇八万〇、八七二円が計上されていること、金融機関からの借入金については一部歩積両建預金がなされていたこと、昭和四九年一二月会社所有の建物(事務所として使用していたもの)が売却され、その売却代金が農協からの借入金の一部の弁済に充てられたこと等が認められる。したがって、昭和四九年三月三一日の時点における決算報告書に計上された借入金に比し昭和五〇年一月三一日の時点における借入金額が大幅な減少を示したとしても、右事実をもって会社財産と被告の個人資産とに混同がある徴表とも言い難い。
(4) その他について(請求原因4の(二)の(2)の(ニ)記載の主張)
(人証略)によれば、被告は福栄運輸退社後も昭和五〇年夏ころまで会社所有の乗用車を使用していたこと、および会社の経理を依頼されていた税理士の中野は、会社の法人税の申告手続をする際、同時に被告個人の所得税の確定申告手続もしてやっていたことが認められる。しかし、右中野証言によれば、税理士が中小企業たる法人から税金の申告手続を依頼される場合、当該法人の代表者等の税金申告手続の世話までしているのが通常であることがうかがえること、また前記二の3で認定のように被告が会社の乗用車を使用していた昭和四九年八月以降は、福栄運輸は会社として正常な業務を遂行する状態になかったこと等に照らして考えると、原告ら主張の右事実があるからといって、会社財産と被告の個人資産とに混同があるものとは認め難い。
(四) 右(一)ないし(三)に判示の事情を総合して考えると、福栄運輸においては社員総会や取締役会等法の要求する正規の意思決定手続がとられずほぼ被告の独断によって会社の業務が遂行されていたことは認められるものの、しかし、従業員数やその営業場所等からして会社の業務と被告個人の経済活動とは明確に区別できる状態にあったものというべく、また個人財産と会社財産とに混同があったものとも認められないから、未だ福栄運輸の法人格が形骸化していたものとはいえないというべきである。
2 次に、法人格の濫用の有無につき検討する。
(1) 原告らは、被告が組合に対する組織攻撃、使用者としての責任回避の手段として法人形態を濫用したものである旨主張する。しかし、そもそも法人格の濫用がある場合に法人格否認の法理が適用されるのは、法人の背後にある者が違法または不当な目的で法人形態を利用する結果、会社債権者が本来自己の債権確保のため追及し得べきはずの財産が不当に債務者の下から逸出するのを防止することにあると解すべきところ、法人における代表者の交代自体は、右のような会社債権者の債権確保のための財産を失わせる行為ではないから、代表者の交代が原告ら主張の目的でなされたものであるからといって、法人格否認の法理を適用すべきものとは解し難い。
(2) また、(証拠略)によれば、昭和四九年七月福栄運輸所有の営業用普通貨物自動車二両が東西産業運輸に引渡されていることが認められる。しかし、(人証略)によれば、昭和四九年七月当時福栄運輸は二〇台を超える営業用車両を保有し、事実上営業が閉鎖された昭和五〇年一月の時点でも右車両保有台数はほとんど変わらず、その後も永く二〇台余の車両を会社で保管していたこと、東西産業運輸に引渡された前記二台の車両も福栄運輸から東西産業運輸に対し三〇〇万円で売却されたものであることが認められる。したがって、東西産業運輸への車両の移転が違法または不法な目的をもってなされたものとは言い難い。さらに、原告らは福栄運輸が事実上営業を閉鎖した後、それまで福栄運輸で働いていた従業員数名を東西産業運輸で雇ったり、福栄運輸の得意先を東西産業運輸が受継いでいる旨主張し、証人曽根崎甚次の証言、原告木村龍美、同田中繁幸各本人尋問の結果によれば、右主張の事実が認められる。しかし、右のほか福栄運輸の事業閉鎖により車両、預金その他の会社資産の隠匿若しくは会社資産の被告その他の関係人個人への移転がなされたこと、および被告が東西産業運輸の経営に関与し利益を得ていることを認めるに足りる証拠はない。したがって、本件は財産の移転関係からみても、法人格否認の法理を適用すべきものとは解し難い。
四、よって、原告らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松尾俊一 裁判官 湯地紘一郎 裁判官 辻次郎)